神々の領域 伊都の国
『陽転思考ワクワク先生おもしろ授業』ブログ編、開いて下さって誠にありがとうございます。
今朝のブログ、
昨夜遅くに書きました。
正直、眠たくて眠たくて、
脳が限り無く停止状態で、
書かせていただきました。
だから、ちょっとへんてこりんなブログだったでしょ。
さて、
昨日
マジ
スゴイ1日でした。
昨日も申し上げたように、
僕、神功皇后さまが、憑いて下さってます。
神功皇后さまが、糸島に来なさい!と
って感じで
神々の都、筑前は『伊都の国』、
現、糸島に呼ばれて参りました。
5月の末、
異次元パーラーあんでるせんで出逢い
あんでるせんにて連絡先を教えあった方が、僕に『友達が逢いたがってるから
糸島に来てください』と。
それで昨日、糸島に呼ばれて参りました。
糸島は『伊都の国』
神功皇后さまが、大和の国を守り抜くため、しばらくの間、沢山の兵士を従え、滞在去れたとの言われる地。
その地に
昨日僕は呼ばれました。
まずこれを読んで下さい。
ー事跡ー
『日本書記』などによれば
神功元年から神功69年なで政事を執り行った。夫の仲哀天皇の急死後、住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄海灘を渡り朝鮮半島に出兵して、新羅の国を攻めた。新羅は、戦わずして降伏し、朝貫を誓い、高句麗・百済も朝貫えお約したという(三韓征伐)
渡海の際は、お腹に月述石や、鎮懐石と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、
お腹を冷やすことで出産を遅らせた。
月述石は3つあったとされ、
ひとつは、長崎県壱岐市の月讚神社、
ひとつは、京都市西京区の月読神社、
ひとつは福岡県糸島市の鎮懐八幡宮に
それぞれ奉納されたという。
その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産・・・
その後も神功皇后は、
九州北部に数々の伝承があり
九州北部に縁の深い人物であった。
僕、
昨日、
糸島の
鎮懐石八幡宮に呼ばれました。
あんでるせんにて出逢ったH子さん、
この日、二度でましてのH子さん
とそのお友達六人と
海辺のテラスで
昼間から、日が沈むまで愉しく過ごさせていただいたんです。
なななななんと
鎮懐石八幡宮、
そのテラスの真裏にありました。
マジ〜ーーーーーー?
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続きはまた明日。
今日も
高倉太郎のブログにお付き合い下さって誠にありがとうございました。
- 2013.06.30 Sunday
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- 00:28
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- by wakuwaku-taro